辺境と中央

開国と日本人意識

院に進んで、学部時代とは比べ物にならないくらいに専門に打ち込んでいる(といっても先輩も同輩にも遠く及ばないが)。自分は教員として大成したいので、専門的な範囲だけではなく、少なくとも日本史にかけてはすべての範囲に対して広い知識を持っていなければならない。というわけで今は弱い古代史を勉強中である。

そこで、古代国家が強く意識されるのは、中央よりもむしろ蝦夷などの異民族と接する辺境の地であると学んだ。辺境においてこそ国家への帰属意識や統一感が意識されるという。これは幕末の日本人において異国に対峙したことで初めて藩の域を超えた「日本人」意識が生まれたのと同じ原理だろう。しかし、それは国家単位の話だけではなく、実は日常生活において個人が体験していることでもあるのではないか。最近そう思うようになった。

理論は自分で経験してこそ本物の知識になると考えている。理論を理解するのと体得するのでは少し違う。

世の中にはやりたくないけれどもやらなければならないことがたくさんある。それはインターンシップもそうだ。もしこのルートを回避することが出来るのならば、時間を節約してその分専門の勉強に費やしたい。また、ここ数日はやっていないが漢字や算数の勉強も本当はやりたくない。これに毎日1時間ほどかかるが、たいした時間ではないとはいえ、やらなくて良いということになればだいぶ気が晴れる。

そういった生活を四月からしばらく続けてきて、専門の勉強が疎かになっていた。そこで時間を確保して、久々に通史の勉強をしてみると、これが実に楽しい。一時期は「本当に自分は歴史が好きなのだろうか」と疑問に思ったこともあったが、やはり歴史の勉強は楽しかった。しかも自分のあまり好きではないと思っていた古代史でだ。

何かと比較することでその性質や全体像が見えてくることはたくさんある。自分の性格もその一つだと思う。それにとことん付き合うことも、本質を捉えるために必要なことではある。しかし、そのことだけに目を取られてしまっては、外から見れば簡単に気がつくことでもそうならないかもしれない。

そういった意味で、やりたくないことというのも必要なことがある。主体的に取り組みさえすれば、何らかのプラスの意味を見いだすことも出来るだろう。やりたくない、辛いからといってすぐに投げ出してしまっては何も得られないどころか、それに費やした時間がむだになる。だからインターンもがんばって続けよう。

正直もう登校拒否、というか出勤拒否したくなるような精神状態であるので、何かを強く信じていなければ続けられない。一つは社長の「理想を持ってがんばっているから育てたい」という言葉。これはインターン紹介企業の担当の人がいっていただけなので、本当かどうかわからないが、本当だと信じたい。厳しいことを言われても、それは意味のあることだ。

もう一つは、今の辛い時期が来年につながるということだ。そして来年につながるということは10年後の自分にもつながってくる。たった1日で辛いといって逃げてしまっては、今後の人生設計にかかわるかもしれない。自分の将来に意味のあることと信じる。

辺境とは無意味なものではない。辺境があるからこそわかることもある。今日も一日がんばろう。